好きな字は、
ほめられた字。

もしも書の道にゴールがあるなら、永遠にたどり着きたくないと思う。
書の道の楽しみとは踏破することでなく、その途中で、
好きな字にひとつでも多く出会うことではないだろうか。
私たち日本書鏡院では、生徒の字をとにかくホメる。
ホメられると自信がつく。もっと書きたくなる。
すると、あら不思議。得意な字が増えている。
初めからすべての字が上手な子どもなんていない。
好きな字を増やすことが、苦手な字を克服することになる。
好きな料理に混ぜれば、嫌いなニンジンやピーマンも、
いつの間にか大好きになっていたように。

筆の持ち方は、
生き方の
背骨になる。

美しい字は、美しい姿勢から生まれる。
それにはまず、正しい持ち方で筆記具を握ること。
しかし残念なことに、小学校高学年になっても、
正しく鉛筆を持てない子どもたちがいます。
鉛筆の持ち方は、お箸の持ち方と同じ。
一度ついてしまった癖はなかなか直りません。
持ち方が悪いと姿勢も悪くなる。姿勢が悪いと、
長時間座っているのがつらくなり、集中力も続かない。
鉛筆の持ち方は、成績にも大きく影響するのです。
大人になって恥ずかしい思いをしないためにも、
正しい持ち方を子どものうちに身につけませんか。


社会に出て役立つことは、
受験に出ないことが多い。

書き順が間違っていても、正しい漢字は書ける。
テストでも正解になる。だから最近は、
小学校でも教えない先生が多いとか。
しかし筆の場合、そうはいきません。
書き順とは、じつは筆の自然な流れのこと。
ひとつでも間違うと、決して美しい字にならない。
「左」は横棒から。「右」は左払いから。
すべての順番には理由がある。
結果だけを一足とびに追い求めがちな今。
一つひとつの過程とていねいに向き合う時間は、
子どもたちに大切なことを教えてくれるでしょう。
地道こそ、近道。

左利きを、
ありがとう。

体の構造上、字は右手の方が書きやすい。
長年書道界では、左利きは直すものとされてきました。
でも実は、右利きと左利きで字の美しさに差はありません。
だから私たち日本書鏡院では、左利きの矯正はしません。
利き手もまた、ご両親から授かった大切な個性のひとつ。
直すべきはむしろ「字は右手で書くもの」という偏見です。
手で字を擦らないよう、一生懸命ていねいに書く。
その強い意思が、右利きの子にはない長所になる。
一般的に言語は左脳が、芸術は右脳が司ると言われます。
では、言語であり芸術でもある書道は、
果たしてどちらの脳を育ててくれるでしょう。

クラスメイトは、
おばあちゃん。

祖父母と孫、または親子でいっしょに通う。
家族が世代を超えて仲良く席を並べる光景は、
日本書鏡院では珍しくありません。
子どもの頃、書を習っていた人が、
自分の子どもとまた始める。
美しい字がどれだけ人生を豊かにしてくれたか。
思い通りの字を書くことがどれほど難しく、奥深いか。
書道から学んだことを、孫にも伝えたいと願う。
自分より美しい字、巧みな筆づかい、
何より年を重ねても成長し続けようとする姿勢。
子どもたちの心には、目上の人を敬う気持ちが、
自然と生まれることでしょう。

思いきりハネる。
気持ちよくノビる。

内気で引っ込み思案な子ほど、
筆を手にすると大胆な字を書くことがあります。
言葉にできない。でもすごく考えている。
字の形や筆の持ち方が語りかけてくる
子どもたちの内なる声や迷いを、
私たち日本書鏡院は大切にしています。
褒めるところは褒め、直すところは直す。
一文字ずつでも感情を表現する手段を知れば、
気持ちを伝える自信がつく。人前に立つ勇気が出る。
声にならない言葉ほどよく響くことを、
私たちは知っています。

書道は集中力の
スポーツである。

一筆目をどこに下ろそうか。
まるでバッターボックスに立つ打者のように、
子どもたちの表情は真剣です。
自分の名前の、最後の一文字まで油断はできない。
早く書き終えて楽になりたい。思わず力を抜きたくなる。
そんな心の乱れを筆先は見逃さない。だからグッと粘る。
負けず嫌いは、書けず嫌い。
納得いくまで何度でも書き直す熱意が、
いつしか子どもたちを無口にしていきます。
字という鏡を通して、自と向き合う。
静かで豊かな時間が、力を集める力を育みます。